発生日時:1937年9月
発生場所:パルデア地方・ベマリナ海
関与ポケモン:ナミイルカ(複数・野生)
【解決済】蒼き背に揺られて
1937年9月、パルデア地方の南西沿岸に位置するベマリナ海で海洋気象庁の観測員5名を乗せた調査船《エル・プラシド号》が突如として発生した嵐に巻き込まれ、消息を絶つという事故が発生した。
調査員たちは当時、海水温と沿岸流の調査のために約2週間にわたってベマリナ海に滞在しており、その日も晴天で現地本部に【沖合南西7キロ地点にてデータ取得を開始する】という報告を入れたわずか20分後の午前9時12分、突如ノイズと叫び声が入り混じった通信が届いた。
その後、船との連絡は一切取れなくなり、ベマリナ港の救難艇2隻と上空からの監視気球による緊急捜索が直ちに開始されたが、当該海域には破損した船体の一部や観測機材の残骸、漂流物などが散乱しているのみで調査員らの姿は発見されなかったという。
事故発生から3日後、海岸集落に暮らす漁師が未明の沖合《青白く連なる複数の背びれ》が緩やかに進んでくるのを視認した。
それは夜明け前の薄闇の中、波間に光る筋のように広がっており、浜辺に近づくにつれその正体が《ナミイルカ》の群れであることが明らかになった。
漁師らが浜辺に降り立ち注意深く見守るとナミイルカたちはおよそ十数体で縦列を組みながら浜に向かって進んできており、その背中には海洋調査員たちの姿が一人ずつ仰向けの状態で乗せられていた。
ナミイルカたちは波打ち際ギリギリのところまで近づいた後、地元民が水中に入り人間を引き取るまで揺れる背に静かに体を支え続けていたという。
全員が引き上げられたことを確認すると群れのナミイルカたちは方向を変え、何の未練も残さぬような静けさで再び沖合へと姿を消していった。
その後、通報を受けて駆けつけた救急隊によって全員が病院に搬送され、低体温症と脱水症状の診断を受けたもののいずれも数日内に快方に向かい生命に別状はなかった。
ベマリナ海域におけるナミイルカの生息数は当時は多く、潮流の変化に応じて沿岸に接近する性質があった。
だが、明確に人命救助と受け取れるような行動が確認されたのはこの事故が初めてであり、後の生態調査では嵐が発生する度にナミイルカの群れが異常なまでにに密集して活動していた記録も確認されている。
この出来事は後に地元紙によって【ナミイルカの人命救助】として紹介され同年の地方記録映像にも残されることとなる。
救助された調査員のうち最年長だった【ソリアーノ主任研究員】は晩年に書き残した手記の中でこう記している。
『あの夜、確かに私は嵐に飲まれ上下左右もわからず暗闇にただただ沈んでいくばかりでした。
死を実感しながら気を失いましたが気がついたら《ナニカ》に運ばれていました。
それは波でも風でもなく、人でも船でもなかったことはすぐにわかりました。
静かで、温かく、そして確かな命を帯びた背だった。
人生においてあれほど涙し、感謝したことはありません。
今でも夢に見るんです。
ナミイルカの背に揺られながら見たベマリナシティの風景を。
あの感動を私は死ぬまで忘れない。』

――文・【マリコ・オオツカ】(パルデア地方災害記録報道室)
【管理人の感想】
海難事故というと悲劇や絶望と結びつけられるが、この出来事にはそれらを凌駕する《救済》が確かにあったと感じた。
そしてそれは決して派手な奇跡ではなく、ごく自然に、まるでそうあるべきものとして起きたような優しい救済だったのではないだろうか。
溺れている人たちを1人づつ丁寧に運び、人間に手渡して、それを見届けたら音もなく去っていくという行動からもナミイルカたちは一切のためらいも見返りも求めていなかったと感じる。
これほどの事を野生のナミイルカが自発的に行ったというのもどこか神秘的にも感じられないだろうか。
上記のことからも彼らはかつて、遠い過去に人間に救われた事があった可能性もある。
その恩を子々孫々に至るまで伝え続けてきたからこそ、迷うこと無く人間を助けようと行動できたのかもしれない。
もしかしたら、あの中にはかつてトレーナーに愛され育てられていた個体がいたのかもしれない。
真実はわからないが、いずれにせよナミイルカ達が人間を自らの意思で救助したという事実は変わらない。
ベマリナ海の朝焼けに浮かぶ《青白い背びれの列》は今も誰かの心に確かに残っているのではないだろうか。
きっとそれは本当に強く、優しく、そして美しい光景だったと思える。
構事件録
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