発生日時:1898年4月
発生場所:ヒスイ地方・カスベ岳山腹
関与ポケモン:アメタマ(複数・野生)
【未解決】湿り神の祟り
1898年4月、ヒスイ地方の【カスベ岳】山腹で長年閉ざされていたとされる岩壁が突如として裂け内部に広がる洞窟が顕になった。
発見者とされるのは麓の村で薬草採集を生業としていた老女で、谷に流れる異臭を辿った末《黒く染まった木々》の連なる山腹で異常な開口部に出くわしたという。
当時の記録によればその裂け目から数百メートルにわたって林が墨を垂らしたように黒化し、近隣の住民は強烈な腐臭と湿気に満ちた風が山から吹き下ろしていたと証言している。
開かれた洞窟の奥を調査するとそこには簡素な柱状の祠があり、祠の周囲には無数のアメタマが集まっていた。
祠の側には《祈雨の柱》と記載された古びた看板が立てかけられていたためかつて何かの信仰遺構であったと考えたがその起源を知る者は既に絶えていた。
洞窟が開かれてからというもの山麓の村々では続けざまに異変が起こった。
最初に発生したのは《作物の急激な不作》で本来であれば米や野菜など多くの作物が収穫できた地域一体では開口の年から3年連続で田畑が壊滅的な打撃を受けた。
さらに同時期に生まれた子どもたちの中には《手足の一部が黒く変色している》例や《皮膚が常に湿っている》ような状態で生まれる事例が発生。
中には視覚や聴覚に重い障害を持ったまま成長する者もおりこうした現象は集落から人が消えるまでの12年間継続していたという。
当時の地元民はこの異常を洞窟と祠に結びつけ《湿り神の祟り》として語り継ぐようになった。
山は封鎖され誰も足を踏み入れなくなり、やがて山麓周辺の集落全てが放棄された。
当時、明確な調査記録は保管されておらず、以降は《カスベ岳は呪われているため近づいてはならぬ》といった禁忌だけが伝聞として残された。
それから《120年》以上が経過してからシンオウ地方の大学でポケモン生態史を専門とする研究者がこの地に入り伝承の実在性を確認するため調査を試みた。
彼らは約8ヶ月の調査期間を設け、当時カスベ岳と呼ばれた山麓を探索したが伝聞として残されていた洞窟も祠も一切発見することができなかった。
また、地質調査では山腹では明らかに大規模な崩落の痕跡があるもののそれが自然によるものか人為的なものかは判断できなかったという。
調査最終日、研究班は尾根を越えた先に霧のかかった小さな湖を発見した。
この湖は地図にも記されておらず誰にも知られていなかったもので、湖面は静まり返りながらも無数のアメタマが水面近くで浮かんでいたのを確認した。
調査班はこれらがかつて祠に群生していたアメタマの子孫である可能性を示唆したが決定的な証拠は得られなかったという。
洞窟も祠も再び地中に封じられたのか、形を変えてどこかに存在しているのか、今では誰もその真偽を確認するができない。

――文・【ナカジマ・トウジ】(ヒスイ民俗自然誌記録班)
【管理人の考察】
溢れ出た《黒》
《黒く染まった木々》という事からこれは単なる自然現象ではなく、祠の開口に伴って地下から《ナニカ》が表に露出した可能性がある。
この一帯がかつて信仰の対象とされていた背景にはもしかしたら祠周辺には特殊な性質を持つ水があり、それがかつてはナニカに使用されていたもしくは封印した可能性が考えられる。
つまり伝聞としてすら残されていない遥か過去から既に《祟り》の要因となるナニカがそこに潜伏していたということである。
アメタマと祠の関係
アメタマは通常水質の悪化や毒に比較的弱いため、腐敗や水の異常があれば近寄らないと考えられる。
だがなぜか発生源である洞窟内部、祠周辺では大量のアメタマが目撃されている。
洞窟内部の《祈雨の柱》という表記からは雨乞いや水を巡る信仰であったことを示唆している。
この祠がかつて人為的に築かれたものである以上、アメタマたちも人間の手により中に閉じ込められた、あるいは象徴的な存在として扱われていた可能性がある。
当時の人々がこのアメタマを《湿り神》の供物としていた、もしくは《アメタマに見えたそのナニカ》が《湿り神》そのものだったのかもしれない。
異常の継続
作物の壊滅、皮膚の湿潤化、感覚器の障害など多様な被害が次々に表出したことから水質や空気中の病原的因子が散布されていたとも考えられる。
だが祠の露出後に発生した異常は少なくとも12年間、観測されていないだけでさらに長期間継続した可能性すらある。
これは祠の存在とそれを取り巻く環境が一時的な変化ではなく、山そのものを完全に汚染し蝕むほどの影響力があったといえる。
小さな洞窟、祠からでた影響としては計り知れないものであり、やはり《ナニカ》別のチカラが関与していたと考えるのが自然なのではないだろうか。
再発見されなかった祠
120年後に最新機器を用いて再調査が行われたにも関わらず洞窟も祠も見つからなかった点にはいくつかの可能性がある。
1つは地質的な再崩落や自然による地形変化で完全に封印されたこと。
もう1つは《人為的及び意図的》に埋め戻された可能性である。
しかし、尾根の先で見つかった霧の湖とそこに浮かぶアメタマの存在から考えると全てが失われたわけではないとも言えるのではないだろうか。
この湖自体が祠のあった空間の変容後の姿、あるいはその《名残》なのかもしれない。
そう考えると《祠》や《湿り神》の本質は構造物や場所ではなくアメタマを含めた生態そのものに内在していたのではないかという仮説にも繋がる。
信仰と封印の系譜
古びた看板が残されていたという記述からもこの場がかつて信仰の対象であったことは疑いない。
だが、なぜその祠が封じられていたのか、なぜ口を閉ざすように洞窟ごと閉じていたのか。
それは単なる忘却ではなく意図的な封印、あるいは退避だった可能性が極めて高いのではないだろうか。
信仰が変質した結果、祠は《捧げる場》ではなく《隔てるための場》へと変化していった可能性も考えられる。
構事件録
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